グローバルスタンダードを声高に叫ぶやつを信用できない。

どこもかしこも「グローバル」だ。

グローバルスタンダードは、勝者の・大多数の「標準」だ。

ジェンダー問題では多様性を強要するくせに、かたやグローバルを叫ぶ。おかしくないか?

住んでいる環境が違う、宗教が違う、肌の色が違う、言葉が違う、歴史が違う。そこにスタンダードを押しつける、そのスタンダードとは誰にとっての標準なんだ?「あいつはオレと違うから、あいつは間違っている」というのと何が違うんだ?

「あいつ」「オレ」は個人だが、多数が叫べば正論なのか?

人間として絶対に間違っていることはあるだろう。それは他者を虐げることだが、それ以外のことで世界標準を押しつけることは傲慢ではないのか?

「世界と商売するために社内語を英語にしよう」素晴らしい。好きにすれば良い。

「オリンピックでたくさん来日するら(しなかったが)、おもてなしのために誰でも食える物を用意しよう」違う。日本に来るのは日本らしさを求めて来るのだ。不便だろうと食える物が少なかろうと、外国を感じるのだ。インターナショナルとグローバルは違う。

グローバルスタンダード化とは、勝者にへつらう敗者の論理だ。

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